病名=アイデンティティーではない
不思議なもので、物書きに集中していると、宇宙がそれに答えてくれるかのように、色んな形でインスピレーションを送ってくれるんですよね。おかげで最近、色んな女性たちと出会ったのですが、年齢、職業、経歴が異なるみんなに共通していたのは、「病気を治す=癒しじゃない」という意見でした。
中でも心に響いたのは、理学療法士さんとの話しでした。
シンガポールのクリニックで脳卒中患者のリハビリを担当している彼女は、一端診断が下りると、それを宿命として受け止めてしまう患者さんが多い、と言いました。つまり主治医に「おそらく歩けないでしょう」と言われれば、患者もご家族も「ああそうなんだ」と、すっかり諦める傾向が強いというのです。
でもそれは違う。何と「宣告」されても、それまでの人格は生きている。先生に診断されたからといって、過去の自分を捨て去る必要なんてない、と。
例えば、脳卒中以前は活発な患者さんが、意志さえ強ければ、歩行機能が回復するのを(どの程度か言いませんでしたが)、彼女はリハビリの現場で実際に見て来られました。
でも、そのような回復は手厚いサポートなしでは実現できないそうです。患者が病気の肉体的、精神的なダメージを乗り越え、本当に癒されるように、医療従事者にはもっとこの点を認識してもらいたい、と話しました。
さらに彼女はこう付け加えました:
人を、医療従事者の都合いいように、簡単に片づけてはいけないと思います。患者さんは人間であり、一人一人多面的な個性と様々な人生経験を持っています。 重症な病気や外傷は、危期・絶望期・喪失期を経て、人の人生を大きく変えます。でも人格まで失ってしまうのは、あまりにも残念過ぎます。アイデンティティを変えるか、拡張するか、新しい目で見つめるか―とにかく、視点を変えるのは大切です。 人生の危機に直面した時、何らかの選択をする余地は必ずあるのです。
私も、まったく同感です!
癒しとは、病気を治すだけではない、その人の精神と魂の深いところまで丸ごと癒すことである―それはエネルギーワークを通して知りました。
でも心身相関にようやく目覚めた医療の世界はどうでしょう。医者はどうすれば、人をもっとホリスティックに癒せるのでしょうか?
以前、ロチェスター大学医学部の教授で、現役の家庭医でもあるロナルド・M・エプスタイン先生の著書、「AttendingーMedicine, Mindfulness, and Humanity」を読んだことがあります。

Attend(アテンド)は、「手当する、看護する、付き添う」を意味します。エプスタイン先生によると、attendingとは「患者ときちんと対面し、相手に意識を集中させ、話に耳を傾け、大事な局面で患者に寄り添うこと」だそうです。
そして、この行為は、マインドフルネス(相手に囚われのない意識を向けると同時に、自分にも同様の意識を向けること)なしでは行えないと、著書の中で終始訴えます。
エプスタイン先生は本の中でこんな話をしました。
彼の親友が進行期ガンの宣告を受けたのです。医者でもあるその親友は、どのような治療法があるのか十分すぎるほど熟知していたけど、いざ自分がそういう立場になると、どうすればよいのか全く分からず、途方に暮れてしまいました。
彼はエプスタイン先生にアドバイスを求めたけれど、先生もどうしたらいいのか、何も答えてあげられませんでした。
でも、先生は諦めずに、友人の胸中を探る問いかけをしながら、二人で選択肢を一つ一つじっくり検討しました。最終的には、友人は納得のいく選択をし、後悔なく治療に挑むことができたそうです。
私たちも、万が一深刻な病気の診断を受けたら、エプスタイン先生が見せたようなケアを、主治医から受けられたら最高ですね。
医者も全能ではない
それから、この話を読んで、もう一つ思ったことが。
医者というのは、病気を治すために何をすべきか十分に分かっていても、どんな治療がベストなのか迷う患者に何をアドバイスすべきか、すべて分かっているわけではありません。それは、対応が下手だとかではなくて、豊富な知識と経験を持つ医者でさえも、患者に個人的なアドバイスをするのはそれだけ難しいってことなんですよね。
先ほどの理学療法士さんが言ったように、深刻な病気やケガは、人生を大きく変えてしまう出来事です。どの患者も望むのは、病気を治すだけでなく、それまでの人生を取り戻すこと。
でも場合によっては、改善する見込みがかなり低い、または一生残るような後遺症があったりします。そんな厳しい現実の中で、どうすればその人全体を癒してあげられるでしょうか。
患者のこれまでの経歴、病歴、性格、クセ、望み、目標、家族構成、人間関係など、様々なことを考慮しなければならないでしょう。
もしかしたら、新たなアイデンティティまたは生きる目的を見出さなければならないかもしれません。
主治医と患者のケアに関わるすべての人たちが、どれほど患者を人として理解できるかによっては、病気の肉体的・精神的トラウマに苦しむ本人に、きっと力強いサポートを差し伸べられるでしょうね。
エプスタイン先生も、理学療法士さんも、医療の世界に求めるのは、このような慈愛深い寄り添いなのだと思います。
私も期待しています!
どうか皆さまも、医者のお世話になった時、同じような寄り添いを受けられますように。もしお役に立てるようなことがあれば、ぜひご連絡ください。
理美